これまで何度か、人生とは観光旅行のようなものという言い方をしていましたが、もっと良い例えが見つかりました!
それは…
「人生とはゲームの如し」
これも精神世界においてはよく使われる例えではあるかと思いますが、例によって(笑)最近読んでいる本から、ものすごく的確な説明を得て、悟りと言うものがとても身近に感じられました。
やっぱり同じような例え話や説明を聞いても、なんだかしっくり来なかったり、頭でわかっていても納得しているんだかしていないんだか、自分でもなんだかすっきりしないような気分の時があります。
でも今回この説明がものすごく腑に落ちてしまって、いわば悟ったような気持ちになり、もうその直後は何も手につかず、嬉しい気持ちとシュールな感覚が入り混じってポケーっと過ごしてしまいました。笑
もはやこれは、
自分や家族が健康だからとか、
生活がうまくいっているから大丈夫だとか、
そんなレベルを完全に飛び越えて、
そうか~何があっても本当に本当に本当に絶対に大丈夫なんだ!‼︎
という究極の安心感をもたらしました!
ゲームがどうして楽しめるかと言えば、そこにゆとりがあるからです。
ゲームの登場人物、キャラクターが自分ではないと言う自覚があるからです。
スーパーマリオで遊んでいて、マリオに感情移入しきってしまい、ゲームの世界こそ現実だと思い込んでいたら、ゲーム内で行われる数々の試練や危険な出来事を目前に、冷静にプレイができるでしょうか?
ゲームを進めていると、乗り越えなければ前に進めないもの、予想外の出来事、思い通りにはいかない数々の試練が目の前に立ちふさがります。
でも、これってゲームですから‼︎
本気で頭を悩ませたり、楽しむことを忘れていては、何の意味もありません。
でも同時に、人生はゲームなんて言うと、なんて言うか…私だけかもしれませんが、なんとなくギャンブラーな感じがしませんか?笑
どうせゲームだから一時的な快楽や娯楽に溺れてもいいとか、
なりふり構わず、どんな人生になってもいいだとか…
なんとなくそんなイメージが湧く気持ちもわかります。(私自身がそうです。)
ですが、そんなことを言いたいわけではないのです( ´θ`)
ただ、自我の本質というのが、ゲームのシナリオとプログラミングを創造した張本人であることを忘れずにいればいいのです。
だから、思い切りゲームを楽しんで、いろんなことを経験して乗り越えて、満喫しきってゲームオーバーし、ステージを上げるも良し。
輪廻転生して再スタートするも良し。
自分でやりたかくてしかたのなかったゲームを開始したのに、
大変だから適当にやろう。
つまらないからふてくされよう。
面倒だから難しいのは避けよう。
どうせゲームだから自暴自棄になろう。
とか言ってる人はヘンでしょう?笑
このようにゲームと言われて、私はとっても腑に落ちてスッキリしましたが、人によっては別の説明で、ビビビッと来ることもあるでしょう。
なんだかんだ臆病で、過去や未来の心配でいっぱいになってしまいがちな私には、ゲームだと思うくらいがちょうどいい塩梅なのかもしれないです(^ν^)
なんだかそういう風に悩みがちだったことがかなり軽くなって、自分がマリオだったり、周りの人たちも他のキャラクターの一部であり、一生懸命それぞれの役を演じているんだと思うと、何があってもクスっと笑える余裕が出てきました。
人生、もちろん笑えない事態に遭遇することはあります。
でもでも、本当の真実は、全てなにがあっても笑い飛ばしていい、ゲームのキャラが倒されてしまったり、滅亡したり、仲間がやられても平気なくらいにゆとりを持って見ていいんですね。
実際すぐにそうできるかはまた別問題なんですが。。
みなさんにも精神的に自由になる、納得のいく人生論が、ひょっこり見つかりますように。
今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO
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