2017年9月30日土曜日

ヨガと宿命

前回の記事の入院の件では、色々なことに改めてありがたさを感じたことを書きました。

もう一つ、自分の中でありがたみを深く実感できて良かったことが、ヨガの素晴らしさです。

入院中、文字通り息子とべったりで、息子の行動範囲はほぼ狭いシングルベットの中だけ。

お風呂の時だけ抱っこして部屋から出るという生活でした。

その中で、息子がぐっすり眠った時にだけは、私は大急ぎでトイレに行ったり、ベッドから出て身の回りのものを片付けたり、給湯室にお湯をくみに行ったり。

私もあまり眠れず疲れていて、特に他のことをする気力もなく、気晴らしにテレビをつけるか何かを食べるかくらい。

でも、そんな中でも息子が抱っこから離れたほんの少しの隙を利用して行っていたのが、ヨガの呼吸とストレッチ、後は軽い瞑想のようなものでした。

これは本当にどんな場所でも、体が自由になって静けささえあればできるし、息子が横で寝ていても可能なので、一瞬のリラックスとしては最高の方法でした。

ゆっくりと自分の呼吸を観察してコントロールしながら、伸ばせるところをのばしたり、軽くマッサージしたり、静かに座って目を閉じるだけ。

不自由な場所ではなおさら、この一瞬のヨガの習慣が効果絶大で、朝体がガチガチに痛くなって起きてもすぐに回復したし、呼吸を見つめることで、イライラしたり取り乱したり感情的にもなりませんでした。

ヨガ哲学の教えの面も、気持ちの上でとても役立ち、今まで学んだヨガ哲学の教えで精神的な成長の過程を考えると、どんなことにも感謝して受け入れようという気になれました。

特に思い出されたのが、感謝の気持ちに大前提である知足の教え。

普段と比べるとずいぶん不便で困ったことも多いけれど、ないものではなく、ここにあるありがたいものたちにまず感謝をしようと努め、悲観的になったり惨めな気分になることを防ぐことができました。

ヨガの習慣をつけていたことの自分への感謝、自分をそこへ導いてくれた周りへの感謝もしっかりと感じることができました。

そう思うと本当に、私の人生の中の使命は、自分を救ってくれたこのヨガの教えを、少しでも多くの人に知ってもらうために勤めることかもしれないと思います。

自分の魂の成長のために、人生を全うするためにできる事は個人個人全く異なるけれど、私にもきっと何かあると思うことができました。


私の息子は、一歳そこそこで痛い思いや辛い思いをして入院を通して、母親である私にこんな気づきを与えてくれた、本当に、私の人生を導く天使です。

そうしてどんな人にも、いろんなきっかけで、人生の使命や目的や、成長の方法について気づく時があると思います。

私も今回だけではなく、そんなきっかけに気づかずにスルーすることがないよう、常にアンテナを張って、人生を全うしたいものですね。


今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO

2017年9月28日木曜日

入院

田舎に移住してきて新生活を始めて1ヵ月。

とにかく人間関係に恵まれ、部屋や環境も素晴らしくとても良いスタートを切っていました。

ところが、そう思っていた私たちに訪れた思わぬハプニング…

実は、息子が高熱の末に痙攣を起こして数日間入院していました(;_;)

まだ一歳そこそこなので、親は24時間付き添いで、私も5日間病院にこもっていたわけです。

ただ息子の容体はすぐに落ち着き、少しずつ体力を取り戻して元気になって無事一緒に退院し、一安心したところです。


最近の私たちはほぼ全てが順風満帆に回っていたので、息子が痙攣起こして救急車を呼んだときは、まさしく青天の霹靂と言う感じでした。

でも、この一件は確かに大変だったし怖かったり辛かったり、周りもものすごく心配していましたが、それでも人生においてのひとつのありがたい経験であり出来事だったのです。

まずやっぱりこういうことがあると、ありふれた当たり前の日常に、改めて感謝する機会になります。

普通の状態、親子三人一緒にいる時間、三人揃って夜一緒にお布団に入れて、朝起きてもみんなが揃っている平和がいかにありがたいか幸せかを、しみじみ実感することができました。

そしてこんなときには、いつも以上に周りの支えや人々の温かさに触れて、自分たちがいかに恵まれているかを再確認する機会にもなります。


また、最近平和な日常の中では育児に疲れを感じることもありました。

でも一波乱あった後は、息子が
泣いたり叫んだりしても、元気なことに喜べる。

おむつ替えやら授乳の時にコロコロ動いて大変でも、回復した体力を喜べる。

どこへ行ってもママ~と追いかけられても、立ち上がって歩いてきてくれることに喜べる。

夜中に起きても朝早くから起きても、無事に目覚めて素敵に生きてくれていることだけで、胸がいっぱいになる。

大変でも、キャハキャハ声を出して笑ってくれるだけで幸せに感謝できる。


こんなありふれた日常を感謝と幸せでいっぱいに満たしてくれたのも、今回の困難と試練があったからこそでした。


とは言っても、毎回困難と試練によってようやく感謝ができて幸せを感じられるようでは、大変なことが多すぎて困ってしまいますね(;_;)

だから本当に日々の感謝を毎日忘れないことが大事だなと思い、ありがとうヨガの初心に帰った気持ちになりました。

様々な事情でブログは滞りがちですが、これからもこうして少しずつ書き連ねて、ありがとうの習慣を広めることができればなと思っています。


今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO


2017年9月15日金曜日

学び

移住後の田舎生活のために、今年の春に教習所を終えておいた私ですが、実際に免許センターで試験を合格して車をゲットして乗り始めたのは数ヶ月後…

免許を取ってから運転を開始するまで時間があいてしまう初心者はけっこう多いですが、私も例に漏れず、期間をあけてしまってからの運転し始めはかなり緊張しました。

実は、以前どこかの記事で書いたかもしれませんが、私にとって教習所通いは、本当に本当に苦痛で大変なものでした(;_;)

もともと、したこともない運転に昔からものすごく苦手意識があり、自分にはできないものとずっと思い込んでいました。

田舎暮らしの話がかなり現実に近づいている時期でも、
私には運転は無理だから…
と、運転についての話題を先延ばし先延ばしになっていました。

でも今年の春に、偶然にも本当にこれ以上ないほどの絶好のタイミングで教習所通いを開始する機会が訪れ、(当時の私にとっては)辛い辛い運転免許への道が開かれたのでした。


ここで、当時の私にとっては…という一言を入れたのは、この辛い日々も、後になっては笑って話せると言うことももちろんありますが、それ以上に、振り返れば本当にありがたいことだらけの、実り多き時間だったのです。


大人になってから何か新しいことを学ぶ機会を得て、1つのことに必死になって取り組んで達成できるというのは、とても貴重で尊いチャンスです。

だって大人って、困難や嫌いなことは自分から身を遠ざけるし、自分から選んで進んでいかない限りほとんどの事から逃げることができます。

新しいことを学ぶ機会からは、逃げる大人がほとんどじゃないでしょうか?

めんどくさいし大変だし…そういうのが頭でわかっているからこそ、大人と言うのは逃げ腰になります。

本当に嫌な事からは、もちろん逃げていいし新しいことばかりに進んでいく必要もありません。

だけどそこから遠ざかる理由が、めんどくさいし大変だし…と言うマイナスの理由だけでは、本当にもったいないことだと思います。

今回自分にとっての大きな大きなチャレンジをして、がんばって最後まで達成したからこそ得られた自信や爽快感は、普段は得られない特別なものがありました。


そしてこれは、私がヨガを始めるきっかけとなったバリへの旅の時とシンクロするものがありました。


バリでの1ヵ月間、正直、キツくて辛く大変で、マイナスな気持ちで過ごすこともありました。

英語の通訳とヨガアライアンスのコース受講を両立していた私は、みんなはコースに集中できるけれど、私は仕事もあるし、私が一番大変でかわいそう…という被害者意識が少なからずあり、感謝するどころか自分の中に不満や同情心を溜め込み、表にも愚痴や態度に出してばかりました。

でも幸運なことに、だんだんヨガ哲学にどっぷりつかる生活の中で、周りにも支えられ、こんな気づきを得たのです。
「もしも全てが簡単でチャレンジがなかったら、何にも学べてないということ。
大変だというのは乗り越えられるからその状態がやってくるんだ。」

貴重な学びの機会の中で、
私はここにいる誰よりも充実していて、誰よりも感謝すべき状況下にいるんだ!
ということに気がついたのです。

同じ状況でも、気づきによって心持ちは真逆に変えることができます。

一番かわいそうどころか一番ラッキーだと思えば、本当に自分の身に降りかかるすべてのことに、感謝感謝で過ごすことができるのです。


教習所通いが始まった頃の私は、まさしく「一番かわいそうな私」真っ盛りでした。

慣れない生活環境下で、
一緒に頑張る友達もいない孤独の中、
乳飲み子を抱え忙しいのに、
苦手な運転の免許を取らされている…
という、悲劇のヒロイン真っ盛り。

これが、「一番ラッキーな私」に変わると、周りの支えや、元気をくれる息子に対しても感謝でいっぱいになり、無事ゴール達成することができたのです。

だからこそ今も、辛かったという思い出よりも、やってよかったと素直に思えるし、もちろん結果的にも今は自分で車運転できると言う便利な側面も同時に得られ、気づきを得られただけで全てが一石二鳥に早変わりしました。


自分はこういう理由で、
ゼッタイ人より大変だ!
とか
損している!
とか思った事のある人や心当たりのある人は、その発想を180度変えて、どんな状況下においても
人よりたくさん経験できる!
人よりたくさん学べる!
人より得をしている!
人より感謝でいっぱいだ‼︎
と思うことにすると、気持ちが変わって人生も好転し始めると思います。

私が実証済みのこの人生好転方法、ぜひお試しくださいね♪


今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO

2017年9月10日日曜日

愛し愛されたい星のもとに生まれた

今まで占いと言うものにはあまり興味がなく、ちょっとあやしい商売だと言う固定観念すら持っていた私ですが、実は少し前に、旦那さんの古い友人でとても信用できる筋の方に、初めて本格的に占ってもらいました。

それは算命学とタロットの混合のような占い師さんで、もともと勉強家で真面目な方なので、とても細かいお話を伺うことができました。


それが、誕生日に従って運命の星を見ていく占いなのですが、ものすごく当たっています。


私も旦那さんも、性格や今まで起きた出来事の必然性、相性なども、言われてみればそうだなと思うことばかりでした。

今まさしく引っ越しをして田舎に移住し、新しい生活を築こうとしている私たちですが、将来の動向に大きなヒントをいただくことができました。

でも占いとは言っても、何年に何が起きるとか、病気や運気が上がりやすい時などに、完全に従って動くことはできません。

ただ占っていただいた算命学には、ある種の厄年のようなものがあります。

注意したほうがいい年のアドバイスをいただき、何かが起きたらその年である可能性が高いと、気持ちを冷静に保つ助けになったり、家族同士でそれぞれの厄年にサポートしあったり、そういった姿勢が大事なんじゃないかと思います。

そして、それぞれの年の動き以上に面白かったのが、どんな星を持って生まれたかである程度見えるらしい、それぞれの個性についてです。


私も旦那さんも、一言で言うなれば、とってもとっても変わり者で明らかに普通ではない2人のようです。

旦那さんにとっては、普通の奥さんをもらってはいけなかったらしく、私にとっても旦那さんは相性バッチリ。

これで公私共に認める変わり者夫婦というわけです。笑


また、変わり者と言うだけでなく、それぞれの個性として言われたポイントも、言われてみれば確かに…と思えることばかりでとても面白いのです。

個性とか性格と言うものは、それぞれの置かれた環境や立場によって、生まれながらのものとだんだん異なってくると思います。

大人になると、自分で意識して置かれた環境や立場に合わせていくという言い方もできます。

だから持って生まれた星の力や個性なんかを改めて聞いてみると、確かにうなずけるものばかりで、ちょっと自分を見つめ直すきっかけにもなります。

こちらに全部紹介する必要もないので省きますが、大きく言うと私は、愛し愛されたい星のもとに生まれたらしいのです。

愛が大きいとか強いとか言うと素晴らしいことに聞こえますが、愛されたいと言う欲求も生まれながらに持って強く、愛した分が同様に返ってこないと満たされないという困ったちゃんな部分もありますね…笑

この個性も、言われてみれば確かに…とすごくうなづけます。

また、私はけっこう自由を好むところがあるので束縛されるとダメとか、旦那さんは孤独を好むところがあるから一歩間違うと引きこもっちゃうとか…笑

なるほど~だから自分って…
と思う部分が二人とも多々あって笑えました。


このように自分を見つめ直すきっかけは、本当に色々な方法がありますね。

生まれ持ったものがこうだから自分はこういう運命に従わなければならないという事は無いですが、今の自分が常に本来の輝きを絶やさず自由な心でいられるよう、日常的に内観をしていきたいです。

今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,