2017年7月29日土曜日

それでいいのだ


前回は、私にとってのストレスポイントを勇気を出してご紹介してみました。

でもその前の前に記事にしたように、なんだかんだ、人生はゲームだ!と思えてからはずいぶん余裕が出てきたのです(^ν^)


ゲームだから、ストレスがあっていいんだ。
思い通りにいかなくていいんだ。

…いいんだ。
というより、そのエキサイティングな挑戦こそが、ゲームのおもしろさと醍醐味。

レベルの高いゲームで、難しいのは当然。

でもいちいち、その困難さに苦しんだり本気で頭を悩ますのはナンセンスですよね。

そのおもしろさを体感するためにこの世に来て、キャラクターになり、もともと完全だったところから離れて真我を見つける経験をする。

最初に閉じないと、開けるという経験はできない。

だからゲームを開始した自覚は完全に忘れて、一度はゲームのキャラクターのひとりとしてそのファンタジーに埋没してしまう。

それでいいんだ!


今回は、それに気が付いた(例え日常の中で忘れてしまいことが多々あっても…)ことだけでも、今生の一大課題はクリアじゃないかな~と思っています。

このゲーム(人生)を楽しみ尽くして、次はいわゆる解脱ができるのか⁈

まずは日々邁進するのみです(^ν^)


今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO

2017年7月26日水曜日

急かされたくない


「相手は自分の映し鏡」
とはよく言ったもので、大体のイライラや、人間関係での突発的な怒りの感情は、これを思い出すとはっと我に帰って冷静になることができます。

ところで、最近私が焦ったり、ついついイライラが出てしまうことの多くは、急かされる時。

これが最近とっても多くて嫌なのです。

そして同じように、相手のことも同じように責めたくなってしまうのです。

こんな時に便利で有効なのが、上記したような
「相手は自分の写し鏡である」
という考えです。


一歳になったばかりの息子には、一瞬でもいなくなると、ママ早く来て~と言わんばかりに叫んだり追いかけてきたり、今にも泣きそうな声で呼ばれたり。

そして赤ちゃんに呼ばれるだけならまだしも、パパやら、周りの人やら、うちの両親からも、ママ~呼んでるよ~と急かされっぱなし。

小さい子のママである時点で避けられない事態なのですが、初めての経験とあってなかなか慣れず、個人的に責められているような感覚に陥ります。

だんだん焦りがエスカレートすると、誰も何も言ってないのに、ひとりでいるときに、

もうすぐ息子が呼ぶのかな?
でも私はできる限り急いでいるし。
頑張ってるのに!
もうすぐ急かされて呼ばれるかな?

と自分で自分を急かし始め、誰でもない誰かへの言い訳を、頭の中でブツブツ呟き始めるのです。

ここまでくると、かなりの末期症状(゚д゚lll)

写し鏡の話を思い出すまで、しばらくの時間を要します。。


でも私のほうも、本当に写し鏡だなぁと思う自覚がきちんとあります。

そもそも女性の方が、基本的にせっかちなのでしょうか?

うちの母も同じ状態ですが、世間でもわりと、ダラダラしてる旦那に嫁が喝を入れるとか、怒って喧嘩になるという光景をよく目にするように思います。

私も実は、何を隠そう、

いつになったら始めてくれるんだろう?
頼んだこと早くやってくれないかな?
なんでいつまでもダラダラしているんだろう?
え、まだやってなかったの⁈

と、いつもパパを責め立てています。笑

でも一応頑張って、口には出さないようにして頭の中で思って念を送っているんです……笑

自分がこんな状態にもかかわらず、相手には

まだー?
早くー
と言われただけで、ものすごくムキーッとしてしまいます_:(´ཀ`」 ∠):

本当に、頭でわかっていても、感情を完全に操るにはまだまだ未熟で。。


この「急かされたくない」という内容を記事にすること自体、私の中でとても勇気のいることでした。

ある事柄の当事者であるということは、それを人に言ったり、公表することはもちろん、何かに記すために自分で思い返すだけでも、耳が痛いというか頭の痛い行為であるわけです。

でも、悩み続けたり嫌だ嫌だと思ったり言ったりしていることは、不思議と何度も何度も繰り返し起きて、いっこうに解決されないのです。

こういうことは、自分の中でうまく消化できていない問題だということ。

また、それが繰り返し起きることに何らかの意味があるはずなのです。

私はこの件も、
因果解消のチャンスかな?
と前向きに捉えて受け入れようとしています。

…でもまだまだだから、繰り返されるんだろうけど…(゚д゚lll)

今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO

2017年7月25日火曜日

フィクション❓ノンフィクション❓


前回の記事の通り、人生はゲーム論に納得して以来、ことあるごとに、
「そうだそうだ、ゲームだったんだ!」と思って妙な安心感を得て、気持ちにもだいぶ余裕ができた今日この頃です。

ゲームなんだから、
楽しまないなんて損!
上機嫌でいたほうがお得!
不機嫌でイライラしてるなんて、もったいなくて嫌だから!

と思い、何にでもまず笑って対応するようにしています。

そうです、完全に損得勘定。笑

でも人間として生まれてきて、単に1番わかりやすい考え方をしているだけ。

本当に人の事や周りのことを一切無視して自分の得になることだけをしようという状態では、いずれ良い方向に行かないと思いますが、こっちのほうがいいから!という考えを持つのは自然なことかなぁと思っています。

子育てしていると赤ちゃんの要望やタイミングに従って生活をすることになるので、自分を優先できないし、思い通りにいかないことばかり。

それで子育てノイローゼになったり、悩んだりイライラするという選択肢もありますが、明るく寛大な気持ちで、笑いながら全てを受け入れるという選択肢だってあるのです。

自分が何かのゲームのプレイヤーで、登場人物にどんな感情持たせるかという選択ができるとしたら、どっちにするんでしょうか?

こう言ってしまうといとも簡単…感情のコントロールなんか自在にできてしまいそうです。

もちろん実際には、感情は自然に湧き上がってしまうもので、なかなかすぐに軌道修正やコントロールできないのはわかっています。

でも、そうやって今まで、
難しいことだ!
とか、
到底無理なことだ!
と思っていた感情のコントロールも、
ゲームのプレイヤーなんだからできないはずないよな?
できないなんておかしいよな⁈
と発想を転換させてみるというのも手です。

私自身、
できない方がおかしい…
と逆の発想を持ってみると、ちょっとやりやすくなりました。

息子が離乳食をぐちゃぐちゃにしたり、電車で1番困るタイミングでぐずったり、
1番助けてほしいときにパパが不在だったり、
ゴキブリさんに遭遇したり……Σ(゚д゚lll)

全ての物事に対して、それが起きた瞬間は感情の波がブワッと動くのですが、一瞬間をおけば、
「ゲームの中でこんなことが起きているのかぁ~」
と、クスっと笑ってしまえる自分がいるわけです。


そして今日も、そんな自分がいると言うだけで、いかに平和かということを思い知り、感謝感謝の一日です(^ν^)


今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO

2017年7月18日火曜日

ゲーム


これまで何度か、人生とは観光旅行のようなものという言い方をしていましたが、もっと良い例えが見つかりました!

それは…
「人生とはゲームの如し」

これも精神世界においてはよく使われる例えではあるかと思いますが、例によって(笑)最近読んでいる本から、ものすごく的確な説明を得て、悟りと言うものがとても身近に感じられました。

やっぱり同じような例え話や説明を聞いても、なんだかしっくり来なかったり、頭でわかっていても納得しているんだかしていないんだか、自分でもなんだかすっきりしないような気分の時があります。

でも今回この説明がものすごく腑に落ちてしまって、いわば悟ったような気持ちになり、もうその直後は何も手につかず、嬉しい気持ちとシュールな感覚が入り混じってポケーっと過ごしてしまいました。笑

もはやこれは、
自分や家族が健康だからとか、
生活がうまくいっているから大丈夫だとか、
そんなレベルを完全に飛び越えて、

そうか~何があっても本当に本当に本当に絶対に大丈夫なんだ!‼︎
という究極の安心感をもたらしました!


ゲームがどうして楽しめるかと言えば、そこにゆとりがあるからです。

ゲームの登場人物、キャラクターが自分ではないと言う自覚があるからです。

スーパーマリオで遊んでいて、マリオに感情移入しきってしまい、ゲームの世界こそ現実だと思い込んでいたら、ゲーム内で行われる数々の試練や危険な出来事を目前に、冷静にプレイができるでしょうか?

ゲームを進めていると、乗り越えなければ前に進めないもの、予想外の出来事、思い通りにはいかない数々の試練が目の前に立ちふさがります。

でも、これってゲームですから‼︎

本気で頭を悩ませたり、楽しむことを忘れていては、何の意味もありません。


でも同時に、人生はゲームなんて言うと、なんて言うか…私だけかもしれませんが、なんとなくギャンブラーな感じがしませんか?笑

どうせゲームだから一時的な快楽や娯楽に溺れてもいいとか、
なりふり構わず、どんな人生になってもいいだとか…
なんとなくそんなイメージが湧く気持ちもわかります。(私自身がそうです。)

ですが、そんなことを言いたいわけではないのです( ´θ`)

ただ、自我の本質というのが、ゲームのシナリオとプログラミングを創造した張本人であることを忘れずにいればいいのです。

だから、思い切りゲームを楽しんで、いろんなことを経験して乗り越えて、満喫しきってゲームオーバーし、ステージを上げるも良し。

輪廻転生して再スタートするも良し。


自分でやりたかくてしかたのなかったゲームを開始したのに、

大変だから適当にやろう。
つまらないからふてくされよう。
面倒だから難しいのは避けよう。
どうせゲームだから自暴自棄になろう。

とか言ってる人はヘンでしょう?笑


このようにゲームと言われて、私はとっても腑に落ちてスッキリしましたが、人によっては別の説明で、ビビビッと来ることもあるでしょう。

なんだかんだ臆病で、過去や未来の心配でいっぱいになってしまいがちな私には、ゲームだと思うくらいがちょうどいい塩梅なのかもしれないです(^ν^)

なんだかそういう風に悩みがちだったことがかなり軽くなって、自分がマリオだったり、周りの人たちも他のキャラクターの一部であり、一生懸命それぞれの役を演じているんだと思うと、何があってもクスっと笑える余裕が出てきました。

人生、もちろん笑えない事態に遭遇することはあります。

でもでも、本当の真実は、全てなにがあっても笑い飛ばしていい、ゲームのキャラが倒されてしまったり、滅亡したり、仲間がやられても平気なくらいにゆとりを持って見ていいんですね。
実際すぐにそうできるかはまた別問題なんですが。。

みなさんにも精神的に自由になる、納得のいく人生論が、ひょっこり見つかりますように。

今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO

2017年7月17日月曜日

癒しの地

今週末は、近々移住する先の山に囲まれた田舎に行ってきました(^ν^)
車の窓や民宿の宿から見える景色、外に出た時の風景、虫の声…

今までそれらは、田舎の避暑地に遊びに来た時の独特の癒しであって、移住したら毎日の生活にもれなく付いてくると思うと…嬉しいけれどまだまだ実感がなく不思議な感じでした♪( ´θ`)

見た目や虫の声たちももちろんなのですが、本当に身体が癒されたのは、やっぱりちょっと山に散策に入って、フワフワの土と森の木々たちに触れた時です。

避暑地とは言っても、30度を超えるジリジリした日差しが照りつける日…

そんな中でも、その散策では木々の葉が直射日光を遮ってくれて涼しい(^ν^)

そしてやっぱり、体感温度が涼しいだけではない、癒しの力を感じるのです。

正直行く前は、
「車からあんまりおりたくないくらい暑い…山登りはちょっと…( ´。`)」と思っていたのですが、行ってみたらすごく気持ちいい!

緑の癒しは本物です(^ν^)

あんな山々に囲まれた暮らしが日常になるなんて…

まだ夢み心地でまるで実感無しですが、これから準備をしていったら少しづつリアルに感じられるかな?

いろいろ大変なこともあると思いますが、頑張って行きます。
楽しみです(^ν^)



今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,

MICHIKO

2017年7月13日木曜日

一年間ありがとう*^^*そして…


うちのわんぱく君が、とうとう一歳のお誕生日を迎えました❤︎
地上に舞い降りた天使としか思えなかった生まれたての寝顔が、
タンクトップとオヤジ風腹巻きズボンで眠る小さなおっさんへ。
お人形のようにコロンと寝ていただけだったオチビさんが、
食べることと動き回ることが大好きなちっちゃい怪獣に。
それでも可愛さは日増しに募るばかりです。笑

この一年、総じて言うと、人生で一番幸せで感謝いっぱいの年でした。
でもおそらく、同時に人生で一番、激動で試練の多かった年でもありました。

思いもよらなかった、息子や旦那さんの体調不良や発病。
引越しや仕事の問題、プチ災害…(´-`)

家族3人になり、今まで周りに支えられてばかりだった私の人生、時によっては自分自身も支える側にならなければならないという貴重な経験を得て、少しは強くなれたかもしれません。
当時は泣いたり悩んだりしたけれど、同時にそんな事態を通して、本当に必要なものを尊ぶ習慣がつきました。

少し前の記事にも書きましたが、
家族が一緒で
仲良く
みんな笑顔でいられること。
とにかくそれがあれば、どこにいても何があっても大丈夫だと。
一番大事で、必要なことは結局それだけなんだと。

それさえ叶わなかった一時の辛さは、日常に感謝する大きな糧になりました。

うちの子は6カ月くらいまであまり手のかからない子で、すごく動いたりそんなに気性の激しさも感じられず、おとなしいタイプかなと思いきや、やっぱり最近は元気いっぱいで、男の子らしいねとよく言われます。笑

でも、その生後6か月くらいまでに何度も何度も、毎日思っていたことは、
「もうこの子には、一生分の可愛さを見せてもらって、一生分の幸せと愛しさをもらった。本当にもう何もいらない。ありがとうありがとう;;」
ということです。

手がかかるようになって大変だとか嫌だというわけではないですが、さすがに肌荒れやかゆみで毎日ご機嫌斜めだった時は、こちらも疲労困憊でした。
何より辛さを変わってあげられないことが辛くて辛くて…状況が少しでも悪化するたびに泣いていました。

それでも大変なことがあるたびに、生後まもない頃のその気持ちを思い出して乗り越えることができました。

まだたったの一年……
これからどんな大変さが待っているのかもわからないけれど、でも「一生分」と自分で誓ったのだから、その気持ちをいつまでも忘れずに生かしていたいと思います。
愛しい息子ちゃん、一年間ありがとう*^^*そしてこれからも、末永くよろしくね!

一年に一度の大切な記念日なので、今日は息子のことでいっぱいいっぱいの記事をお許しくださいね^^

まぁ、やっぱり生活が息子中心なので息子の出現率が高いブログですが^^;
本来の、誰にでも親しめる記事をこれからも目指して書いていきます。


今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO

2017年7月8日土曜日


再び、読んでいた本に書いてあった、瞳の話をします。

「目は口ほどにものを言う」
と言われるだけあって、それにはちゃんと深い理由があるそうです。

なんと、人は何度転生しても瞳だけは変わらないんだそう‼︎

男に生まれようが女に生まれようが、白人だろうが黒人だろうが、瞳の輝きは前世を引き継ぎ、瞳の輝きは人間の魂を映し出すんだそうです!!!

だから赤ちゃんの瞳は、あんなに澄んでいて綺麗なんだなぁ~と、今回も妙に納得しました。

人の顔をまっすぐ見て話せなくなったり、目が泳ぎやすかったりするのは、だんだん魂の輝きが濁ってきた大人に見られるものです。

とは言っても、本当の魂の輝きはみんな同じ。

現世でちょっと淀もうが何しようが、もともとはみんな繋がっている、完璧に輝く一つの生命体です。

正確に言うと、魂がそう簡単に汚れたりはしないのですが、周りに埃が積もって、本来のようにキラキラ輝いて見えないようになるらしいです。

瞳の色は、人種によって青かったり茶色だったり黒だったりしますが、この色も毎回同じと言うわけではなく、あくまでも瞳の奥の輝きの話です。

輝きの度数と言うのは、正確には目には見えないですが、心が淀んでくると、うまく輝けなくなる、嘘のつけない瞳。

だからいつも、瞳が綺麗な人でありたいものです。

今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO

2017年7月6日木曜日

恋と愛


昨日愛されキャラについての記事を書きましたが、偶然読んでいた本に、とてもタイムリーな内容が載っていました。

それは愛についての、稀に見るパーフェクトな定義付け!
以下引用です。


求め合うのが恋。与え合うのが愛。
相手に何かを望むのは恋。何も望まないのは愛。
愛と恋はまったくの別物で、似て非なるもの。

愛を望めば愛が足りない現実ができる。だから恋は儚い。
愛は相手に何も求めない。自分から与えるのみ。だから永遠。

周りを愛することができる人間は、周りから愛される。
もっと自分を愛してくれと渇望している人間は、ますます倦厭される。

愛されることを望むなら、自分から愛すること。
与えあれば求め合う必要は無い。

求める愛など存在しない。愛とはあくまで与えるものだ。

ここまでが引用です。


あ~~
息子もパパ/旦那さんも、だから愛されるんだなぁと、とても納得。

だって確かに2人とも、全力で愛してくれますが、全力で愛されたいと言うような、欲とか媚びる様子が全くないんだもの。笑

息子は全力で向かってきて、ママ大好き大好き大好き~~を全力で表現しますが、その力強さに、手加減は無し。笑

そしてやりたい事はやりたいだけやりますし、ママのご機嫌取りなんて全くしません。


パパはママがたまに出かけて帰ってきたとき、疲れて何もしないでゴロゴロとしていても、
帰ってきてくれただけでいいんだよ。
と、神のような言葉をくれるのです(*´Д`*)

かといっていつもせかせかがんばって無理をしているかと言うと、まるでその様子もなし。笑
とっても自然体で、ただ愛情たっぷりで常に接してくれるのです。

2人とも、見返りを求めない様子がひしひしと伝わってきます。

愛されキャラになる事を見習おう。と思っていた私、具体的にどうすればいいのか、偶然次の日の読書で知ってしまった。
これも運命としか思えません(。-_-。)

幸せの輝く道しるべに、運命の計らいに、今日もありがとう。



今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO

2017年7月5日水曜日

愛されキャラ


以前からブログにも書いているように、私たち家族は、近いうちにド田舎への移住をします。

そこで出会うのが、今までと違った新しい仲間、新しい人間関係なわけです。

もう移住に関する現地の方々への相談も済んでいて、みんないい人ですし(と言うよりも、それが移住先を決めた大きな理由の1つでもあります^_^)、人間関係に関して心配はありません。

でも逆に自分が、新しい周りの人たちからどういう風に見られたいのか、見られていくのかということをふと考えました。

そこで見習いたいのが、私の息子と旦那さんです(^ν^)

息子というか、赤ちゃんはみんなそうなのかもしれませんが、とにかく何をしても愛らしく、憎めなくて可愛いのです。

そして、見た目からしても可愛いとはほど遠い私の旦那様。笑

それでも憎めなくて、愛らしいのです(。-_-。)

息子がフーンフーンとママを呼ぶのと同時に、ママ、ママ~と私を呼ぶ、体のデカイおじさん。

だらしなくて呆れるところもあるし、息子が2人いるんじゃないかと思う時もあります(-_-)

でも、息子がパパに1番似ているところは、愛されキャラのところじゃないかと思います。

優しくておおらかでみんなを愛して、そして愛される人であれば、どこに移り住もうとも、自分も周りも幸せにやっていけるんじゃないかと思うのです。

細かいことを気にしたり心配して、神経質になるよりも、とにかく愛されキャラを目指そう!と思いながら、グースカ昼寝をする2人の男たちを見ている今日この頃です(*´-`)


今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO

2017年7月3日月曜日

笑顔


世界共通言語は英語じゃなくて、笑顔だと言う歌がありましたね。

本当にその通りだと思います。

私がこのことに気がついたきっかけは、案の定いつも通り、息子ちゃんなのです(^ν^)

まだ一歳前の、言葉をしゃべらない息子。

でも本当に理屈でなく、この子が笑顔を向けてくれるだけで、私たちに必要なすべてのコミニケーションは成り立っていると感じます。

どんなに疲れていても、眠くてぐったりの日も、こちらがちょっとふざけただけで、生きているのが楽しくてしょうがないと言うように、キャッキャとはしゃいで満面の笑みをくれること。

これは誰でも人間が生まれ持った、天性の才能です。

動物と人間が、自分の得意なことを披露し合う遊びをしている時、人間だけが笑うことができるということを発見した、という内容の絵本がありました。

言葉を巧みに操る以上に、強力な武器であり才能である、笑顔でいること。

言霊の力を持つ言葉というのはとても大切ですが、その前にできること、この才能を常に発揮して、生きていたいものです。

人間であることの大事な大事な気づきに、今日もありがとう。



今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO