2017年8月27日日曜日

夢の暮らし


前回の記事でお伝えした通り、引っ越し移住でしばしバタバタしましたが、万事無事に終わり、片付けもまあまあ一段落しました(^ν^)

以前からの知り合いもいたのであまり心配はしていませんでしたが、こちらの人間関係も滑り出しとても順調で、これからの生活にもワクワクしているところです!


朝起きてカーテンを開けたら、広い青空と山の緑に囲まれていて、おいしい空気をお腹いっぱい吸います。

夜は涼しい風を感じながら、虫の声や川の音を聴きながら眠りにつきます。

都会暮らしが長かった私にとっては、夏休みに山の別荘にでも休暇に来たような感覚がまだあり、本当に夢のような暮らしです。


引っ越し前後ではたくさんの人にお世話になり、快適に新しい生活がスタートできて本当に感謝でいっぱいです。

そしてここでは逆に、手放した都会での生活や出た家にも、改めて感謝の念を送りたいと思いました。

あちらにいた時は当たり前だった便利さや、いろいろな物は、こちらに欠けている部分もたくさんあります。

その分、当時どんなにありがたかったか、目の前にあるときは気づかなかったことにも、離れてみてその大切さに気がつくものです。

それらに改めてありがとうの気持ちを送りつつ、こちらではまた、たくさんの不足しているものではなく、ここにあるものに感謝をして、1日1日を送りたいと思います。

今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO

2017年8月21日月曜日

いつも楽しい人


「今この瞬間を生きる」
ということの大切さは、最近は巷でもずいぶん知られて浸透してきているように思います。

精神世界の中では再三言われている通りですね。

この「今この瞬間にちゃんといる人」のそばにいると、それだけで本人だけでなく周りも幸せになり、何をしても楽しいという相乗効果を感じた今日この頃です。

その人とは、例によってうちの息子ちゃん。笑


もうすぐ引越しなので、この数週間は絶賛引越し準備中の我が家。

以前から宣言している田舎への移住がまもなく実現します‼︎

引越しとなるとやることがたくさんあって、片付けているはずが、部屋はどんどんごちゃごちゃするし段ボールだらけになるし、最後まで大変なものです。

そして一歳になった息子は、ことごとく全ての作業の邪魔に入ります。笑


おもちゃで遊んでいるからと思い少し離れると、どこにでも高速ハイハイで追ってくるし、立っちして足にベッタリくっついて行く手を拒みます。

片付けのために出した小物には全て触らないと気がすまないし、触られまいと隠したり遠ざけるとムキーッ!っと怒り叫びます。

更に使うためにダンボールを組み立てたら、それに入ったり登ったりして遊ぶ始末…(;_;)


確かにものすごく邪魔ですが、何をしても可愛い真っ盛り(о´∀`о)

そして何より、本人がものすごく楽しそうなのです!

いつものおもちゃより、新しい小物やら、珍しい段ボールやらがゴロゴロとしていると、本当に全てに触らずにはいられず、そのひとつひとつで遊ぶのがものすごく楽しそう。


引っ越し作業というのは確かに大変で、あれをやってこれをやってと考えながら進みます。

それが一歳の息子といると、それらの作業のすべてが、一つ一つの新しい遊びにかわります。

大人だけだったら、おそらく色々な心配をしながら時間に追われて、黙々と作業をしていたでしょう。

引越し準備であまり楽しいという発想はありませんね(;_;)


置かれている環境が同じでも、それを楽しんで幸せになる人もいる。

逆に不機嫌に暗い気持ちで、つまらない時間に変える人もいる。

それってこういうことなんだなと思いました(^ν^)


そうして遊びながらの作業もいよいよ大詰め。

引越しはもちろん、その準備段階でたくさん楽しんで、良い思い出になりました!

新しい暮らしもどんなことも楽しみに代えていけるパワーを、息子に習ってママも培わなければと思いました(^ν^)

2017年8月12日土曜日

事故多発日


話が前後しますが、帰郷より前に、初めての伊勢神宮参拝に行ってきました。

伊勢の街に行くこと自体、夫婦ともに初めてで、観光としてもとても素敵な町で楽しむことができました!

一歳になった息子も、宿の女将さんにも可愛がられたり、神宮の大木に触ったりして、楽しい旅で良い思い出になったと思います。

そこで、これまた初めて、お守り以外に神棚に並べるような、大きめのお札を購入してきました。

伊勢から帰ってから、東京の水天宮に行く機会があり、そちらでも欲しかったお札をゲットし、更に旦那さんが素敵な神棚を用意してくれて、きれいにお札を並べることができました。

これで念願の(?)神棚を準備できた私たちは、朝昼晩と出かける前後などに、改まって手を合わせてありがとうを言いやすい機会が増えました。

ありがとうの習慣をつけにくい人は、こうして形から入るのもありだなぁと、改めて思いました。

そうして神棚にで合わせる習慣ができた私たちですが、今日はちょっとした事件が続いた日でした。


朝起きた瞬間、息子がボディークリームの蓋を取ってドロドロのクリームがいろいろなところに散らばっており、手や顔にもちょっとついていたので、食べていないかとても心配しました。

幸い口の中に入った様子はなく、機嫌や具合もいつもと変わらなかったのでそのまま様子を見ました。

二度目は、よちよち歩きを始めた息子がグラッとバランスを失って、仰向けに倒れておもちゃに激突( ゜д゜)

いつもの転倒よりも号泣したので心配しましたが、これも大事にはいたらなかったようで一安心。

そして二度あることは三度あるって言うから、ちょっと不安だな…
と思っていたら案の定、事件は起きました。。

でも三度目の負傷者はなんと私…

これも息子にまつわる事件である事は違いないのですが、手の届くところに置いてあった大きなお椀を持ったまま私のところによちよちきた息子が、何を思ったのかそれを思いっきり床に振り落とし、私の左足の小指に激突…( ゜д゜)

あまりの痛さにキッチンの床にそのまま倒れ込んでいた私の痛い方の足を、さらに旦那さんが踏むと言う悲劇…( ゜д゜)( ゜д゜)

でもこれも本当に幸い、痛みは徐々に治まったし、痣になっていてとても痛いけれど、おそらく骨に異常は無いかと。

ちょっとびっこを引いた状態ですが、日常生活にさほど支障は無い程度です。


こういう日、ふんだりけったりだと嘆く人もいるけれど、お風呂の中でようやく冷静になってきて一日を振り返った私は、ギリギリのところで不幸中のいが続いて、すべて大事に至らなかったことに、そして普段の何もない平和な日常へ、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

マイナスな出来事をプラスの感謝に変える方法はいくらでもあります。

普段の平穏への感謝。
病気や怪我をしたときの身体の回復力に感謝。
あと一歩間違っていたら…という、軽傷への感謝。
事故直後でも変わらない息子の可愛さに感謝!!
何かが起きた時の家族のねぎらいに感謝。
いくらでも、私は運がよかったんだ~と勝手にいい方に解釈できるのです。


以上、上記したような事件の続いた日でしたが、今日も無事家族3人揃って仲良く眠りにつけることに、日常の当たり前だったことへの感謝をより思い出す機会を与えてもらった一日に、いっぱいありがとうの念を持って、神棚に手を合わせておやすみなさいをしました。

なんだか飛び飛びな話になってしまいましたが、ありがとうヨガの記事としては、むしろいつもよりそれらしい感じになったような気がします。笑


本当に、日常当たり前となった素晴らしい奇跡に、今日もありがとうでいっぱいです(^ν^)

今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO

2017年8月11日金曜日

我が家


甥っ子も夏休みに入ったので、私たちも田舎への移住前に、旦那様の実家に遊びに行ってきました。

そして思ったのが、いつも家族3人小さな家で仲良く楽しく暮らしている毎日ですが、たまに環境を変えると言うのはいいですね。

毎度毎度のことであれば、例えば息子が夜同じ時間にいつも起きたり、寝付きがすごく悪かったりしてもありがたいとはなかなか思えず、
またか…と、どちらかと言うとうんざりな気分になりがちです。

でも環境が変わって、家ではないところで少し落ち着かなかったり、興奮して甘えん坊の息子を見ると、いつも以上にいとおしくて守ってあげたい気分が倍増するものです。

そうなると、いつも以上に自分も疲れていて大変なのに、普段ならうんざりするような一つ一つの事柄が、とてもありがたく、いとおしく思えるのです。

この感覚は、日常がありきたりだったり当たり前になりすぎてありがたみがなくなったときに、とても効果があると思います。


今この瞬間の全てにありがたいと思う事は、外側からの要因では無いですが、気持ちを再確認するためにも、環境や外の要因を少し変えてみるというのは、人間にはとても効果的だと思います。


でもやっぱり、どんなに小さかったり古かったりする場所であっても、しばらく住み慣れた自分の家と言うのは、帰ってくると安心するものです。

家族の日常が染み付いた場所は、一歳の息子にも自分の家だと言う感覚がわかるようです。

外でどんなに豪華なお風呂に入っても、広い室内やたくさんのおもちゃで思いきり遊んでも、それよりも家にいてパパとママと一緒に寝たり、小さな小さなお風呂に入っている時の方が、安心した笑顔で嬉しそうにしています。


一度離れてまた戻ることで、そのもののありがたさがわかると言うのは、場所にも人間同士にも言えることです。

ありがとうに行き詰まった方、ぜひ気分転換にお試しくださいね。


今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO

2017年8月5日土曜日

生きてるだけで素晴らしい


最近私が読んでいる本にもそうですし、精神的なお話の本にはほぼ必ず、

「あなたは生きているだけで素晴らしい」
というような内容が見られます。
これはヨガの哲学にも同じです。


ただ、「百聞は一見にしかず」と言われるように、なかなか実感できないことも、リアルな生活の中に実体験としてそれが現れると、一瞬で全てが理解できることがありますね。

生きてるだけでいい。
それだけですばらしい。

と口で言ってわかっていても、大人にとっては、やはり外的な要因で自分や人の価値を定めてしまいがちになります。

本当にいるだけで、それだけで素晴らしい!ということを実写で表現して見せてくれたのが、案の定、私にとっては自分の息子ちゃんでした(^ν^)

赤ちゃんというものは、特に生まれたてなんかは、本当にちょこんといるだけ。

それでも元気でいてくれて、ちょっと笑ってくれたりなんかすると、もうそれだけで周りを幸せにして、その存在価値は絶大に感じられます。

赤ちゃんには、可愛いからとか小さいからとかいう理由がうかびますが、実はそんなことではなく、産まれてきた命そのものにみんな感動してるわけです。

確かに初々しいから感謝しやすいのはわかりますが、それは、身体が大きくなったって変わりはないはず。

また、人が病気だったり、命の危険が迫っている時もそれは感じやすくなります。

意識がない人には、
この人が目を開けてくれるだけでいい。

病床の人には、
生きていてくれるだけでいい。
身体が弱っていても、元気に笑顔でいてくれたりしたら本当にもうそれだけでいい!
と心から思えるはずです。

でもなぜそれは、病床につき、命の灯が消えそうなときだけなんでしょうか?


本来なら誰でもどんなときでも、その命の素晴らしさそのものは変わりがないはずなんです。


生まれたての赤ちゃんでも、
もうすぐ消えそうな命であっても、
健康で元気で忙しく動いている人の命であっても、

その命の輝き自体に、何ら違いは無いはずなのです。

普通に健康だと、存在しているだけではもちろん、笑顔でいたって、大して価値が無いように感じられます。

でも上に書いたように、ちょっと考えてみてください。

命の輝きは、どんな人でもその価値は同じ。

私の場合は、元気で笑ってくれているん だけで幸せをくれる息子を見て、

私だって同じ命があるんだ。
その価値に違いはないんだ。

と言い聞かせることで、自分を含め誰もが
「存在しているだけで素晴らしい」
と実感がわきやすいです。

自分の身近に、そういったモデルがいると尚良いですね。

私のうまくない説明で実感いただけたかわかりませんが、最後に私からあなたへ、今そこにいてくれる、存在してくれることに、その偉大な価値に尊敬と、心からのありがとうを贈ります(^ν^)

今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO

2017年8月3日木曜日

選択の自由


前回の記事に書いたばかりの、

悩みがあっていいんだ!
ストレスがあっていいんだ!
むしろそれがこの人生の目的で、乗り越えられない事は起こらない!

というセオリーに納得した私ではありますが、それでも、悩みの渦中にある時には、どうしてもモヤモヤモヤモヤ…頭がすっきりしないでどうしたらいいのかわからない、パニック状態に近くなることがあるのも事実です。

私の場合、怒ったりストレスを感じる頻度はかなり少ない方だとは思うのですが、やっぱりそれらをうまく消化できていないことがいくつかあるのでしょう。

一度モヤモヤし始めると、本当に回り回って悩みすぎてどうしたらいいのか分からない状態で、一気に悪循環に陥ることがあるのです。

本当に、精神や魂磨きはいつまでたってもまだまだだなぁと思う、人間味溢れる私です。。


それでも、確実に以前の私よりも成長していると思える部分は、何があっても、必ず、それが起きたことにより好転する何かがあると信じていることです。

その感情そのものには、どう対応したらいいのかわからなくて軽いパニックであっても、いずれはそれを乗り越えて先があること、更により良くなった私がいることを、無意識に信じることができるようになったのです。

これだけでも、悩みに溺れて一歩も動けないフリーズ状態を避けることができます。

そして必ず、何らかの形で解決口が見つかり心が晴れるタイミングが来て、うまくいけば1日で、昨日の悩みは何処へやら?!と思えるほどスッキリしてしまうのです。


私の個人的なことや家族の悩みをここに書いても意味のない記事になってしまうので控えようと思っていたのですが、最近の私の悩み方や解決法で、他の場面にも応用できそうな問題があったので、ひとつご紹介したいと思います。


それは、
「人生におけるすべての選択権は自分にある」
と言う考え方です。

これも案の定、私の人生最大で最強のメンターである旦那さんの名言です。笑


普段の生活の中で自分がやっていること、自分の周りの環境や置かれている立場について、

これをやらなきゃいけないから。
ここにいなければいけないから。
私はこういう立場にいるから。

といったような理由で、自分を縛り付けていませんか?


例えば私の場合、子育てで行き詰まっていると感じたり、親として義務だと思ってやらなきゃいけないことが積もり積もって、ストレスやプレッシャーになっているとします。

それは、母親なんだから当然だろ!
と言う意見ももちろんですが、もっともっと根本的な視点に立ってみると、私が選んだすべての道は、私が自分で選択してきた道です。

私の人生は、私がこれからもどういう風にも変えられるし、どこかで進路変更しても、どこにいてもいなくても、本来すべて自由なはずなのです。


とくに旦那さんに言われた一言、
「ここにいないといけないという考えではなく、いたいからいればいい。
逃げたかったら逃げればいいし、他のことをしたいなら、いくらでもすればいい。」
で私は完全に目が覚めて、
~しなければならない!
と思って自分で自分を縛っていたことが、とても滑稽に見えました。

もちろん最初、そう言われた私の心は一瞬、
「そんなこと言ったって無理でしょ!
乳飲み子を抱えて、母親なんだし、義務もあるし。」
と反論しましたが、なんだか旦那さんの言葉は妙に説得力があり、反論する前に私の心の中の別な何かが、グラリと動かされました。

だって、本当にそうでしょうか?
本当の本当は、誰もが自由なんです。


これをやらなきゃいけないからやる。
ここにいなきゃいけないからいる。

という思い込みから、

これをやりたいからやる。
ここにいたいからここにいる。

という自分で選択した結果だと納得してすれば、ずいぶん楽で自由な気がしました。


今どこにいて、何をする。

という選択は、そもそも、もともとその道にたどり着くまでに自分が選んできたことなのです。

そして、自分でそれは嫌だとか違うとか思ったら、いつでも変えればいいのです。

普段何だかそんなことできないような感覚に陥っていますが、本当は、いつでもどこからでも、修正変更は可能です。

自分以外の外的影響力のせいで
「しなきゃやらなきゃ」
と動いている人は、確実に不満が溜まりやすく不幸せを感じやすくなります。


たとえ家族に対してであっても、
~をしてあげなければならない。
ではなく、
してあげたいからやる。

一緒にいたいから一緒にいる。

私の言動もいる場所も、この悩みを持って解決して…というプロセス後も、とくに変わりはありません。

でも、私の心の中と気持ちはまるで変わりました。

自分の首を絞めて、ストレスに感じていた育児も家事も、
「私は本当はここにいなくてもいい。
自由に何でも選択できるんだから。
自分はどうしたいだろう?」
と、自分を解放します。

やっぱりここにいたいな。
家族と一緒がいいな。
お料理をして、みんなで食べたいな。
息子の成長を、一番近くでいつも見ていたいな。

と、選び取った結果ここでこうしているんだと。
そう一呼吸置くことで、爽やかな気持ちで進んでいけます。

さらに素敵なおまけは、自由に選び取った結果により自分の言動にも、おかれている環境にも立場にも、逆に感謝がフツフツと沸いてきたのです。

ここにいられて、ありがとう。
家族と一緒で、ありがとう。
ごはんを作れること、そして食べてくれるみんなに、ありがとう。
息子の成長を一番近くで見られる喜びと幸せに、ありがとう。

当たり前なんてない。
自分で選択して行っているすべての日常が、本当に本当にありがたいものなのです。


この大きな気づきをくれた家族にも、このタイミングにもこの悩みにも自分にも、今日もありがとうでいっぱいです!

今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO