前回のヨガ哲学の一つの教え「サントーシャ」の記事では、少し理屈っぽくなりましたが、今回はそれらの事例を書きたいと思います。
いきなり極端な例ですが、例えば体の一部に、癌のしこりが見つかったとします。
それは拳ぐらいの大きさ。
それに対して、どういう思いをめぐらせるか。
一般的に言うと、悲劇だし驚きだし、穏やかではいられないと思います。
そんな状態で知足を考える、何かに感謝をするなんて無理!と思われるかもしれませんが、前回も書いた通り、そうやって心が枯れた時にこそ思い出すのが、サントーシャの考え。
癌になって絶望していて、何に感謝するの?!と言うと、自分の体にです。
体には、拳ぐらいの大きさの癌があります。
でもあなたの体は、拳何個分ぐらいですか?
でもあなたの体は、拳何個分ぐらいですか?
全然わからないですが、100個ぐらいとすると、あなたは99の拳分の体の正常な所に全然目を向けず、正常であることに感謝もせず、100分の1の癌の部分にだけ目を向けています。
比率で言うと、ちょっとおかしいですよね?!
ということで、体の調子の悪い部分、異常な部分を見つけたら、いつも当たり前すぎて感謝を怠っている体の正常な部分に目を向けるチャンスなのです。
ということで、体の調子の悪い部分、異常な部分を見つけたら、いつも当たり前すぎて感謝を怠っている体の正常な部分に目を向けるチャンスなのです。
よく動いてくれる手や足、脳や感覚器官、目が見える耳が聞こえる口で話ができることなどなどに、一つ一つ感謝。
最後に、こんなに体に感謝をする珍しい機会を与えてくれた癌細胞に感謝をして終わり。
この「ありがとう療法」によって、本当に癌が消えたと言う説もけっこうあるそう。
同じように、職場に嫌な上司がいたら、他の上司や同僚など優しい人々、また普通の人々のありがたさまでわかります。
一人一人感謝していって、最後にはこんなに感謝する機会をくれたその上司にも感謝をして終わり。
その頃にはいつの間にか、関係が修復してるかも知れませんね。
自分にはいかに「ないもの」ではなく「あるもの」に囲まれているか。
これに気がつくだけで、何も変えない変わらなくても、毎日が満たされているとわかります。
これで、なんにでも感謝をしやすい心得ができました。
このありがとうヨガの原点に、いつも立ち帰って進めていきましょう。
このありがとうヨガの原点に、いつも立ち帰って進めていきましょう。
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