ありがとうの習慣を保ちつつも、ないものねだりを実感している毎日です。
パパの実家に居候させてもらってから、1週間が経ちました。
パパが病気になる前に、都心の家でたった1人で赤ちゃんを見ていたときは、寂しいしなんだか変なプレッシャーがあるし、いつも、誰かが側にいてくれればと思っていました。
でも、大家族の中で過ごしていると、それはそれで、いつもわちゃわちゃして落ち着かないなぁと思い、少しの時間息子と2人で寝たり遊んだりしているときに、なんだか安心するような気持ちになるのです。
でも更に、それも本当に一瞬の望みであって、偶然誰かが息子の世話をしてくれてやる仕事も終えて自分の時間がポッカリできたりすると、あれ、何をしよう⁈ってわからなくなったり物足りない気持ちになったりするんです。
だからないものねだりをすると、また他のないものねだりを呼び、延々と満たされない気分が続く悪循環になります。
まぁ自然に湧いてくる感情を止める事はできないので、ないものねだりの感情もしっかり感じてから、
あー自分はこんな風に思ってるなぁこれでいいのかな?
と自問自答して、その感情の消化方法を考える毎日です。
そして導き出した答えなのですが、
まず「全てが自分にちょうどよく起こっている」
ということを改めて思い返すきっかけになりました。
自分の周りに楽しいことがあるか、素敵なワクワクするような環境に囲まれているか、明るく前向きな人に囲まれているか。
そういった、自分の力では変えられそうもないこと、自分のせいでは無いように見えることも、実は自分次第で変わってくることに気づいてから、私の毎日はより自発的で、しかもより幸せになりました。
自分がいつも楽しく、明るく前向きな素敵な人であったら、そういう人が周りに集まってきて、そういう環境に囲まれることになります。
逆に考えると、自分の周りがつまらない人ばかりであったり、逃げ出したくなるような嫌な環境であったならば、自分自身がつまらない人であり、自分に合った不満な気持ちになるような環境が、現実化して現れていると言えるでしょう。
もしくは、知足に気がつくために起こっているのかも。
この続きはまた次回にします^^
ないものねだりの感情自体へも、気づきを与えてくれたことで感謝をして、また邁進する毎日です。
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