2017年8月12日土曜日

事故多発日


話が前後しますが、帰郷より前に、初めての伊勢神宮参拝に行ってきました。

伊勢の街に行くこと自体、夫婦ともに初めてで、観光としてもとても素敵な町で楽しむことができました!

一歳になった息子も、宿の女将さんにも可愛がられたり、神宮の大木に触ったりして、楽しい旅で良い思い出になったと思います。

そこで、これまた初めて、お守り以外に神棚に並べるような、大きめのお札を購入してきました。

伊勢から帰ってから、東京の水天宮に行く機会があり、そちらでも欲しかったお札をゲットし、更に旦那さんが素敵な神棚を用意してくれて、きれいにお札を並べることができました。

これで念願の(?)神棚を準備できた私たちは、朝昼晩と出かける前後などに、改まって手を合わせてありがとうを言いやすい機会が増えました。

ありがとうの習慣をつけにくい人は、こうして形から入るのもありだなぁと、改めて思いました。

そうして神棚にで合わせる習慣ができた私たちですが、今日はちょっとした事件が続いた日でした。


朝起きた瞬間、息子がボディークリームの蓋を取ってドロドロのクリームがいろいろなところに散らばっており、手や顔にもちょっとついていたので、食べていないかとても心配しました。

幸い口の中に入った様子はなく、機嫌や具合もいつもと変わらなかったのでそのまま様子を見ました。

二度目は、よちよち歩きを始めた息子がグラッとバランスを失って、仰向けに倒れておもちゃに激突( ゜д゜)

いつもの転倒よりも号泣したので心配しましたが、これも大事にはいたらなかったようで一安心。

そして二度あることは三度あるって言うから、ちょっと不安だな…
と思っていたら案の定、事件は起きました。。

でも三度目の負傷者はなんと私…

これも息子にまつわる事件である事は違いないのですが、手の届くところに置いてあった大きなお椀を持ったまま私のところによちよちきた息子が、何を思ったのかそれを思いっきり床に振り落とし、私の左足の小指に激突…( ゜д゜)

あまりの痛さにキッチンの床にそのまま倒れ込んでいた私の痛い方の足を、さらに旦那さんが踏むと言う悲劇…( ゜д゜)( ゜д゜)

でもこれも本当に幸い、痛みは徐々に治まったし、痣になっていてとても痛いけれど、おそらく骨に異常は無いかと。

ちょっとびっこを引いた状態ですが、日常生活にさほど支障は無い程度です。


こういう日、ふんだりけったりだと嘆く人もいるけれど、お風呂の中でようやく冷静になってきて一日を振り返った私は、ギリギリのところで不幸中のいが続いて、すべて大事に至らなかったことに、そして普段の何もない平和な日常へ、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

マイナスな出来事をプラスの感謝に変える方法はいくらでもあります。

普段の平穏への感謝。
病気や怪我をしたときの身体の回復力に感謝。
あと一歩間違っていたら…という、軽傷への感謝。
事故直後でも変わらない息子の可愛さに感謝!!
何かが起きた時の家族のねぎらいに感謝。
いくらでも、私は運がよかったんだ~と勝手にいい方に解釈できるのです。


以上、上記したような事件の続いた日でしたが、今日も無事家族3人揃って仲良く眠りにつけることに、日常の当たり前だったことへの感謝をより思い出す機会を与えてもらった一日に、いっぱいありがとうの念を持って、神棚に手を合わせておやすみなさいをしました。

なんだか飛び飛びな話になってしまいましたが、ありがとうヨガの記事としては、むしろいつもよりそれらしい感じになったような気がします。笑


本当に、日常当たり前となった素晴らしい奇跡に、今日もありがとうでいっぱいです(^ν^)

今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO

2017年8月11日金曜日

我が家


甥っ子も夏休みに入ったので、私たちも田舎への移住前に、旦那様の実家に遊びに行ってきました。

そして思ったのが、いつも家族3人小さな家で仲良く楽しく暮らしている毎日ですが、たまに環境を変えると言うのはいいですね。

毎度毎度のことであれば、例えば息子が夜同じ時間にいつも起きたり、寝付きがすごく悪かったりしてもありがたいとはなかなか思えず、
またか…と、どちらかと言うとうんざりな気分になりがちです。

でも環境が変わって、家ではないところで少し落ち着かなかったり、興奮して甘えん坊の息子を見ると、いつも以上にいとおしくて守ってあげたい気分が倍増するものです。

そうなると、いつも以上に自分も疲れていて大変なのに、普段ならうんざりするような一つ一つの事柄が、とてもありがたく、いとおしく思えるのです。

この感覚は、日常がありきたりだったり当たり前になりすぎてありがたみがなくなったときに、とても効果があると思います。


今この瞬間の全てにありがたいと思う事は、外側からの要因では無いですが、気持ちを再確認するためにも、環境や外の要因を少し変えてみるというのは、人間にはとても効果的だと思います。


でもやっぱり、どんなに小さかったり古かったりする場所であっても、しばらく住み慣れた自分の家と言うのは、帰ってくると安心するものです。

家族の日常が染み付いた場所は、一歳の息子にも自分の家だと言う感覚がわかるようです。

外でどんなに豪華なお風呂に入っても、広い室内やたくさんのおもちゃで思いきり遊んでも、それよりも家にいてパパとママと一緒に寝たり、小さな小さなお風呂に入っている時の方が、安心した笑顔で嬉しそうにしています。


一度離れてまた戻ることで、そのもののありがたさがわかると言うのは、場所にも人間同士にも言えることです。

ありがとうに行き詰まった方、ぜひ気分転換にお試しくださいね。


今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO

2017年8月5日土曜日

生きてるだけで素晴らしい


最近私が読んでいる本にもそうですし、精神的なお話の本にはほぼ必ず、

「あなたは生きているだけで素晴らしい」
というような内容が見られます。
これはヨガの哲学にも同じです。


ただ、「百聞は一見にしかず」と言われるように、なかなか実感できないことも、リアルな生活の中に実体験としてそれが現れると、一瞬で全てが理解できることがありますね。

生きてるだけでいい。
それだけですばらしい。

と口で言ってわかっていても、大人にとっては、やはり外的な要因で自分や人の価値を定めてしまいがちになります。

本当にいるだけで、それだけで素晴らしい!ということを実写で表現して見せてくれたのが、案の定、私にとっては自分の息子ちゃんでした(^ν^)

赤ちゃんというものは、特に生まれたてなんかは、本当にちょこんといるだけ。

それでも元気でいてくれて、ちょっと笑ってくれたりなんかすると、もうそれだけで周りを幸せにして、その存在価値は絶大に感じられます。

赤ちゃんには、可愛いからとか小さいからとかいう理由がうかびますが、実はそんなことではなく、産まれてきた命そのものにみんな感動してるわけです。

確かに初々しいから感謝しやすいのはわかりますが、それは、身体が大きくなったって変わりはないはず。

また、人が病気だったり、命の危険が迫っている時もそれは感じやすくなります。

意識がない人には、
この人が目を開けてくれるだけでいい。

病床の人には、
生きていてくれるだけでいい。
身体が弱っていても、元気に笑顔でいてくれたりしたら本当にもうそれだけでいい!
と心から思えるはずです。

でもなぜそれは、病床につき、命の灯が消えそうなときだけなんでしょうか?


本来なら誰でもどんなときでも、その命の素晴らしさそのものは変わりがないはずなんです。


生まれたての赤ちゃんでも、
もうすぐ消えそうな命であっても、
健康で元気で忙しく動いている人の命であっても、

その命の輝き自体に、何ら違いは無いはずなのです。

普通に健康だと、存在しているだけではもちろん、笑顔でいたって、大して価値が無いように感じられます。

でも上に書いたように、ちょっと考えてみてください。

命の輝きは、どんな人でもその価値は同じ。

私の場合は、元気で笑ってくれているん だけで幸せをくれる息子を見て、

私だって同じ命があるんだ。
その価値に違いはないんだ。

と言い聞かせることで、自分を含め誰もが
「存在しているだけで素晴らしい」
と実感がわきやすいです。

自分の身近に、そういったモデルがいると尚良いですね。

私のうまくない説明で実感いただけたかわかりませんが、最後に私からあなたへ、今そこにいてくれる、存在してくれることに、その偉大な価値に尊敬と、心からのありがとうを贈ります(^ν^)

今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO

2017年8月3日木曜日

選択の自由


前回の記事に書いたばかりの、

悩みがあっていいんだ!
ストレスがあっていいんだ!
むしろそれがこの人生の目的で、乗り越えられない事は起こらない!

というセオリーに納得した私ではありますが、それでも、悩みの渦中にある時には、どうしてもモヤモヤモヤモヤ…頭がすっきりしないでどうしたらいいのかわからない、パニック状態に近くなることがあるのも事実です。

私の場合、怒ったりストレスを感じる頻度はかなり少ない方だとは思うのですが、やっぱりそれらをうまく消化できていないことがいくつかあるのでしょう。

一度モヤモヤし始めると、本当に回り回って悩みすぎてどうしたらいいのか分からない状態で、一気に悪循環に陥ることがあるのです。

本当に、精神や魂磨きはいつまでたってもまだまだだなぁと思う、人間味溢れる私です。。


それでも、確実に以前の私よりも成長していると思える部分は、何があっても、必ず、それが起きたことにより好転する何かがあると信じていることです。

その感情そのものには、どう対応したらいいのかわからなくて軽いパニックであっても、いずれはそれを乗り越えて先があること、更により良くなった私がいることを、無意識に信じることができるようになったのです。

これだけでも、悩みに溺れて一歩も動けないフリーズ状態を避けることができます。

そして必ず、何らかの形で解決口が見つかり心が晴れるタイミングが来て、うまくいけば1日で、昨日の悩みは何処へやら?!と思えるほどスッキリしてしまうのです。


私の個人的なことや家族の悩みをここに書いても意味のない記事になってしまうので控えようと思っていたのですが、最近の私の悩み方や解決法で、他の場面にも応用できそうな問題があったので、ひとつご紹介したいと思います。


それは、
「人生におけるすべての選択権は自分にある」
と言う考え方です。

これも案の定、私の人生最大で最強のメンターである旦那さんの名言です。笑


普段の生活の中で自分がやっていること、自分の周りの環境や置かれている立場について、

これをやらなきゃいけないから。
ここにいなければいけないから。
私はこういう立場にいるから。

といったような理由で、自分を縛り付けていませんか?


例えば私の場合、子育てで行き詰まっていると感じたり、親として義務だと思ってやらなきゃいけないことが積もり積もって、ストレスやプレッシャーになっているとします。

それは、母親なんだから当然だろ!
と言う意見ももちろんですが、もっともっと根本的な視点に立ってみると、私が選んだすべての道は、私が自分で選択してきた道です。

私の人生は、私がこれからもどういう風にも変えられるし、どこかで進路変更しても、どこにいてもいなくても、本来すべて自由なはずなのです。


とくに旦那さんに言われた一言、
「ここにいないといけないという考えではなく、いたいからいればいい。
逃げたかったら逃げればいいし、他のことをしたいなら、いくらでもすればいい。」
で私は完全に目が覚めて、
~しなければならない!
と思って自分で自分を縛っていたことが、とても滑稽に見えました。

もちろん最初、そう言われた私の心は一瞬、
「そんなこと言ったって無理でしょ!
乳飲み子を抱えて、母親なんだし、義務もあるし。」
と反論しましたが、なんだか旦那さんの言葉は妙に説得力があり、反論する前に私の心の中の別な何かが、グラリと動かされました。

だって、本当にそうでしょうか?
本当の本当は、誰もが自由なんです。


これをやらなきゃいけないからやる。
ここにいなきゃいけないからいる。

という思い込みから、

これをやりたいからやる。
ここにいたいからここにいる。

という自分で選択した結果だと納得してすれば、ずいぶん楽で自由な気がしました。


今どこにいて、何をする。

という選択は、そもそも、もともとその道にたどり着くまでに自分が選んできたことなのです。

そして、自分でそれは嫌だとか違うとか思ったら、いつでも変えればいいのです。

普段何だかそんなことできないような感覚に陥っていますが、本当は、いつでもどこからでも、修正変更は可能です。

自分以外の外的影響力のせいで
「しなきゃやらなきゃ」
と動いている人は、確実に不満が溜まりやすく不幸せを感じやすくなります。


たとえ家族に対してであっても、
~をしてあげなければならない。
ではなく、
してあげたいからやる。

一緒にいたいから一緒にいる。

私の言動もいる場所も、この悩みを持って解決して…というプロセス後も、とくに変わりはありません。

でも、私の心の中と気持ちはまるで変わりました。

自分の首を絞めて、ストレスに感じていた育児も家事も、
「私は本当はここにいなくてもいい。
自由に何でも選択できるんだから。
自分はどうしたいだろう?」
と、自分を解放します。

やっぱりここにいたいな。
家族と一緒がいいな。
お料理をして、みんなで食べたいな。
息子の成長を、一番近くでいつも見ていたいな。

と、選び取った結果ここでこうしているんだと。
そう一呼吸置くことで、爽やかな気持ちで進んでいけます。

さらに素敵なおまけは、自由に選び取った結果により自分の言動にも、おかれている環境にも立場にも、逆に感謝がフツフツと沸いてきたのです。

ここにいられて、ありがとう。
家族と一緒で、ありがとう。
ごはんを作れること、そして食べてくれるみんなに、ありがとう。
息子の成長を一番近くで見られる喜びと幸せに、ありがとう。

当たり前なんてない。
自分で選択して行っているすべての日常が、本当に本当にありがたいものなのです。


この大きな気づきをくれた家族にも、このタイミングにもこの悩みにも自分にも、今日もありがとうでいっぱいです!

今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO

2017年7月29日土曜日

それでいいのだ


前回は、私にとってのストレスポイントを勇気を出してご紹介してみました。

でもその前の前に記事にしたように、なんだかんだ、人生はゲームだ!と思えてからはずいぶん余裕が出てきたのです(^ν^)


ゲームだから、ストレスがあっていいんだ。
思い通りにいかなくていいんだ。

…いいんだ。
というより、そのエキサイティングな挑戦こそが、ゲームのおもしろさと醍醐味。

レベルの高いゲームで、難しいのは当然。

でもいちいち、その困難さに苦しんだり本気で頭を悩ますのはナンセンスですよね。

そのおもしろさを体感するためにこの世に来て、キャラクターになり、もともと完全だったところから離れて真我を見つける経験をする。

最初に閉じないと、開けるという経験はできない。

だからゲームを開始した自覚は完全に忘れて、一度はゲームのキャラクターのひとりとしてそのファンタジーに埋没してしまう。

それでいいんだ!


今回は、それに気が付いた(例え日常の中で忘れてしまいことが多々あっても…)ことだけでも、今生の一大課題はクリアじゃないかな~と思っています。

このゲーム(人生)を楽しみ尽くして、次はいわゆる解脱ができるのか⁈

まずは日々邁進するのみです(^ν^)


今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO

2017年7月26日水曜日

急かされたくない


「相手は自分の映し鏡」
とはよく言ったもので、大体のイライラや、人間関係での突発的な怒りの感情は、これを思い出すとはっと我に帰って冷静になることができます。

ところで、最近私が焦ったり、ついついイライラが出てしまうことの多くは、急かされる時。

これが最近とっても多くて嫌なのです。

そして同じように、相手のことも同じように責めたくなってしまうのです。

こんな時に便利で有効なのが、上記したような
「相手は自分の写し鏡である」
という考えです。


一歳になったばかりの息子には、一瞬でもいなくなると、ママ早く来て~と言わんばかりに叫んだり追いかけてきたり、今にも泣きそうな声で呼ばれたり。

そして赤ちゃんに呼ばれるだけならまだしも、パパやら、周りの人やら、うちの両親からも、ママ~呼んでるよ~と急かされっぱなし。

小さい子のママである時点で避けられない事態なのですが、初めての経験とあってなかなか慣れず、個人的に責められているような感覚に陥ります。

だんだん焦りがエスカレートすると、誰も何も言ってないのに、ひとりでいるときに、

もうすぐ息子が呼ぶのかな?
でも私はできる限り急いでいるし。
頑張ってるのに!
もうすぐ急かされて呼ばれるかな?

と自分で自分を急かし始め、誰でもない誰かへの言い訳を、頭の中でブツブツ呟き始めるのです。

ここまでくると、かなりの末期症状(゚д゚lll)

写し鏡の話を思い出すまで、しばらくの時間を要します。。


でも私のほうも、本当に写し鏡だなぁと思う自覚がきちんとあります。

そもそも女性の方が、基本的にせっかちなのでしょうか?

うちの母も同じ状態ですが、世間でもわりと、ダラダラしてる旦那に嫁が喝を入れるとか、怒って喧嘩になるという光景をよく目にするように思います。

私も実は、何を隠そう、

いつになったら始めてくれるんだろう?
頼んだこと早くやってくれないかな?
なんでいつまでもダラダラしているんだろう?
え、まだやってなかったの⁈

と、いつもパパを責め立てています。笑

でも一応頑張って、口には出さないようにして頭の中で思って念を送っているんです……笑

自分がこんな状態にもかかわらず、相手には

まだー?
早くー
と言われただけで、ものすごくムキーッとしてしまいます_:(´ཀ`」 ∠):

本当に、頭でわかっていても、感情を完全に操るにはまだまだ未熟で。。


この「急かされたくない」という内容を記事にすること自体、私の中でとても勇気のいることでした。

ある事柄の当事者であるということは、それを人に言ったり、公表することはもちろん、何かに記すために自分で思い返すだけでも、耳が痛いというか頭の痛い行為であるわけです。

でも、悩み続けたり嫌だ嫌だと思ったり言ったりしていることは、不思議と何度も何度も繰り返し起きて、いっこうに解決されないのです。

こういうことは、自分の中でうまく消化できていない問題だということ。

また、それが繰り返し起きることに何らかの意味があるはずなのです。

私はこの件も、
因果解消のチャンスかな?
と前向きに捉えて受け入れようとしています。

…でもまだまだだから、繰り返されるんだろうけど…(゚д゚lll)

今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO

2017年7月25日火曜日

フィクション❓ノンフィクション❓


前回の記事の通り、人生はゲーム論に納得して以来、ことあるごとに、
「そうだそうだ、ゲームだったんだ!」と思って妙な安心感を得て、気持ちにもだいぶ余裕ができた今日この頃です。

ゲームなんだから、
楽しまないなんて損!
上機嫌でいたほうがお得!
不機嫌でイライラしてるなんて、もったいなくて嫌だから!

と思い、何にでもまず笑って対応するようにしています。

そうです、完全に損得勘定。笑

でも人間として生まれてきて、単に1番わかりやすい考え方をしているだけ。

本当に人の事や周りのことを一切無視して自分の得になることだけをしようという状態では、いずれ良い方向に行かないと思いますが、こっちのほうがいいから!という考えを持つのは自然なことかなぁと思っています。

子育てしていると赤ちゃんの要望やタイミングに従って生活をすることになるので、自分を優先できないし、思い通りにいかないことばかり。

それで子育てノイローゼになったり、悩んだりイライラするという選択肢もありますが、明るく寛大な気持ちで、笑いながら全てを受け入れるという選択肢だってあるのです。

自分が何かのゲームのプレイヤーで、登場人物にどんな感情持たせるかという選択ができるとしたら、どっちにするんでしょうか?

こう言ってしまうといとも簡単…感情のコントロールなんか自在にできてしまいそうです。

もちろん実際には、感情は自然に湧き上がってしまうもので、なかなかすぐに軌道修正やコントロールできないのはわかっています。

でも、そうやって今まで、
難しいことだ!
とか、
到底無理なことだ!
と思っていた感情のコントロールも、
ゲームのプレイヤーなんだからできないはずないよな?
できないなんておかしいよな⁈
と発想を転換させてみるというのも手です。

私自身、
できない方がおかしい…
と逆の発想を持ってみると、ちょっとやりやすくなりました。

息子が離乳食をぐちゃぐちゃにしたり、電車で1番困るタイミングでぐずったり、
1番助けてほしいときにパパが不在だったり、
ゴキブリさんに遭遇したり……Σ(゚д゚lll)

全ての物事に対して、それが起きた瞬間は感情の波がブワッと動くのですが、一瞬間をおけば、
「ゲームの中でこんなことが起きているのかぁ~」
と、クスっと笑ってしまえる自分がいるわけです。


そして今日も、そんな自分がいると言うだけで、いかに平和かということを思い知り、感謝感謝の一日です(^ν^)


今日もありがとうございました╰(*´︶`*)╯
Love&Gratitude,
MICHIKO